SNSって難しいよね
私が旦那と出会った頃はまだLINEがコミュニーケーションの主流になってなかったし、Facebookも日本人はそんなにやってなかった時代。時代といってもたかだか5、6年くらい前だが、この間で大分ネット恋活?婚活はやりにくくなったと思う。
この前、友人のSさんが、Facebookを使ったpairsというアプリを使って出会って彼氏ができたと報告を受けた。
話を聞くと、よかったねーといったが、あれ?色々とうーんと思うところがあった。
それは些細なことで、
相手のフルネームの漢字知らないとか、
過去の恋愛歴知らないとか。
それは、普通の出会いであれば、特に問題にもならないことだけれど、こういった出会いだからこそ、おろそかにしてはいけないところだと思う。
共通の友人や、後ろ盾がない分、自分で相手を見極める目を磨かないといけないというか。
私の中で出会い系サイトのいいところは、最初から相手のバックグラウンドや、家族の話とか恋愛感など、相手についての質問を突っ込めるところかなと思っている。
話が逸れたが、私は彼女から相手のフルネームを聞き、アルファベットで名前を打ち込むと、彼のページがすぐに見つかった。
彼のプロフィールの一部は、友人に伝えていたものとは異なっていて、彼女はいたく驚いていた。
そもそもこんな簡単に名前の読みを入れたら出てくるようなところにプロフィールを置くならもっと上手く色々やれよと思うのだが、、、いい人すぎてザルだったのだろう。決して色々やるほどの気持ちもない人間だったとは思いたくない。
SNSに容易にアクセス出来るから、名前を知ったら検索できてしまうし、LINEも既読があるし、スタンプあるしで、あまり一からのコミュニーケーションツールとして向いてるとは思わない。
私はゼロからイチくらいまでの仲になるまでは、メールや手紙が1番だと思う。自分のペースで好きなことをいくつか聞いたり、聞かれたりするのがちょうどいいなと。そういう意味では、すぐにLINEID聞いたり、本名晒したりしないで、サイト内のメッセージとかでやり取りするの大事かもしれない。
結局なんの話だったのか…
以上です。
井の中の蛙大海を知らず
タラレバ娘の8巻を読んで、泣きそうになったのは私だけではないと思うんだけど、怒りと悲しみが湧き上がって、そこではっとフィクションにキレてどうするの?と思って心を落ち着かせました。
さて、井の中の蛙大海を知らずということわざがあります。
小さな井戸の中に住む蛙は、大きな海があることを知らないという意から、物の見方や考えが狭いことを批判する場合に多く使われる。 『荘子・秋水』に「井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘ればなり(井戸の中の蛙に海の話をしても通じないのは、蛙が井戸という狭い場所にとらわれているから)」とあるのに基づく。
http://kotowaza-allguide.com/i/inonakanokawazu.html
だそうですが、私これって恋愛には当てはまらない考え方だと思うんですよ。
(そもそも恋愛関係ないことわざだけど)
大海を知ってしまったカエルを待ち受けているのは、自尊心の欠如だったり、自分の存在価値への疑問だったり、はたまたそこで素敵なウミガメにでも出会った日には、井戸のカエルをバカにしたりする日々なわけで、大海で溶け込めて暮らせればいいけど、海水が肌に合わなかった時に井戸に戻れるかといえば、そう上手くもいかないだろうし。
いいじゃん、井戸で素朴なカエル同士仲良くして、家庭を持って、孫に看取られて命を終えたって…
世の中、知らなかった方がいいこともたくさんあるし、知ってしまったが故に苦しむこともたくさんある。
特に一度素敵な元カレがいたことのある女子なんて、本当にいいことないと思う。一度上がった理想は誰も下げてはくれない。
昔社会科の先生が、自由は不可逆的だと言ったけど、金銭感覚だって恋愛感覚だって、不可逆的なものばかり…
そして何より、自分を大切にしてくれる人を大切にしないと自分も大切にされないと思うに尽きるかな!
以上です。
写真の取り扱いについての話
こんな記事を読みました
http://lovemazipa.com/love-app-ikemen/
驚いたのが、顔写真なしの男は論外!ってところ…
私は会う人は基本写真ない人が多かったので、そうか、写真ない人って普通怪しい?のかと思うと大変なんだなと思った。
そもそも登録さえすれば不特定多数が見られるページに顔写真を掲載するのがどうなの?と私は思ってしまうのだが…
個人的に顔写真をちゃんと載せていた人とあまり関係が上手くいかなかった原因はいくつかあると思うけど、以下それぞれの理由を挙げました。結果、私は写真は不要でした。
パターン1
相手の顔が思ったより微妙な場合
実際に会ってみてから顔はちょっと好みじゃないな、と、思った場合は、顔以外の服装とか振る舞いとか会話などで挽回出来るチャンスがあるけど、写真を先に見てしまうとまず会う気が起きなくなる。ということで出会いの機会を自ら減らしてるかも!と思って基本は写真はいらないと思ってた…
パターン2
相手が好みの顔の場合
写真から入ってしまうと、如何せん自分をよく見せようとかかわいいと思われなきゃとか既に対等な関係が築けにくい…。好みドストライクの人に素で接することができるほど出来た人間じゃないし、そもそもイケメン苦手なだけかもだけど…
パターン3
そもそも顔写真ドヤって載せてる人と気が合わなすぎる
大概顔写真載せれる人は、自他共に認めるイケメン〜雰囲気イケメンか、または自分に自信がある人、または他人の評価を一切気にしない人である。つまりイケメンまたはリア充またはナルシストまたはサイコパス…(極端?)
基本的には清潔感あるフツメンとか顔は別にでも突き抜けて性格がいいとか、凝り性で自分を持ってるとかの人は写真載せないのでは?…そんなこともないか。
ちなみに?私は写真ちょうだいっていう男の人が好きじゃないってのもあり、あんまり写真載せてる人にはいかなかったんです、だって載せてる人はほぼ100パーでくれって言う…
会ったこともない人に写真なんか送りたくありません!
これって変なのかな?
ちなみに私が登録していたサイトは、体型の欄が五段階表記であったので、 その辺りで体型は絞れるし、正直写真の人が来るかわからないじゃないですか。ネットの出会いなんて←
だから、この人はなんだか大丈夫だ!と、思えるくらいきちんとコミュニケーション取ってれば、出会って好みの顔じゃなくたって、意外となんとかなると思うんだよなぁ…
とりあえず最近の出会い系は写真ありきのアプリが多くて大変だなと思いましたとさ。あ、婚活も。
以上です。
高校時代の憧れの人
私は女子校に通っていたが、とにかく彼氏が欲しかったので、高校のクラスメイトに中学時代の同級生を紹介してもらった。それが、近くの男子校で生徒会長をしていたKくん。彼は双子で、バンドをやっていて、メールの残念感から滲み出るいい人止まりになりやすいオーラ…
ドストライク!!!!!
すでに私の脳内では彼と付き合っていて、
「ねえ、お互い大学受かって遠恋になったらどうする?」という会話をする妄想をするくらいには1人盛り上がっていた。
さらに写真をもらったときに驚いた…なんと学校別のスピーチコンテスト的な行事で、カッコいい!と思っていた人にそっくり…思わずメールで聞いたら本人だと判明…!
この時点で私は結婚式の馴れ初めを考えるくらいには盛り上がっていて、紹介してくれた友人に、「あのとき、紹介してくれて本当にありがとう!まさか、あの時はここでこうして手紙を読むことになるとは思いませんでした。」と手紙を書いていました。もちろんあくまで脳内の話です。
彼に文化祭で歌うから見に来てほしい、と言われて、目を❤️にして飛びついたけれど、まさかの自分の文化祭と被って行けなかったという…
今でも、もし高校生に戻れたら、クラスの出し物のアイス喫茶の店番をサボってでも、文化祭に行くと思う…
さらには声を掛けられなかったけど、センター試験の会場も一緒…。さすがに、運命!とかは思わなかったけど…
彼が試験で疲れてるときに電話攻撃をしたのも、鬼のようなポエムメールを送ったのもいい思い出です、、、
そもそも一度もあって会話したことがないのにこんなに熱く語れる自分にドン引き…
こぼれ話で、大学時代にも連絡を取ってみたら受験に失敗したKくんは地元のFラン大学に染まり、チャラ男と化していました。かわいい⭐️カッコいい限定飲み会?とやらに誘われましたが低調にお断りしました。そもそもお主、私の顔知らないだろ。アーメン。
私、結婚おめでとう
気づけばアラサーなので、だいたい周りは結婚してるか婚活してるかの二択になっています。そして、なんとか結婚出来ることになったのですが、どうしてもSNSで結婚しましたー⭐️報告できない拗らせ女の私、、、とはいえはしゃぎたいのでブログにしたためようとした次第です。
私は23年間彼氏がいたことがなかったが、たまたま職場の調子いい教育担当の先輩に、俺の友達出会い系で彼氏出来たから登録してみなよ、と揶揄われたことに気づかず、登録したことから話は始まります…
そもそも、大学時代も高校時代も、惚れっぽいうえに拗らせまくってたせいで、本当に本当にうまくいかなかったので、過去好きだったり出会った人の思い出を振り返りながら考察したいと思います。